書くということ。
先日、仕事仲間に唐突に、
「いやぁ、感心しちゃったよ~。」
と、声を掛けられた。
なんのことかと思ったら、
「SNSにあげてる文章が上手‼」
と言われた。
恥ずかしい反面、やはり褒められるのは、いくつになってもうれしい。
照れくさかったが、素直にお礼を伝えた。
仕事仲間といっても、私は直接付き合いがあるわけではない。
私の仕事は、事務関係なので、業者仲間と関わることはほとんどないのだ。
それでも、ときどきほかの方々と接する機会はあるし、我が家は先述した通り家族経営で、家族と相互フォローしているSNSがひとつだけあるので、その流れで私のページを見たことのあるひとは何人かいるようだ。(みんな黙ってはいるが)
私のSNSなど、仕事の話は皆無といっていいほどで、あとは食べたものとか行った場所とかのありきたりな自己満足の投稿しかしていない。
でも、ついついちょっとした文章は載せてしまう。
写真だけでもいいのに、やっぱり文章を書くのが好きなんだな…と、妙に実感したできごとでもあった。
文章って、おもしろいと思う。
例えば、LINEのちょっとしたメッセージなんかでも、そのひとの機嫌がわかったりする。
だから、私はけっこう気を使っているつもりだ。
やっぱり、私の文章で気を悪くされるのは、本意ではないから。
若いころは、勢いでやってきたところもあるので、だいぶ攻撃的なところもあったように感じる。
だから、それで気を悪くしたひとも、当時はいたろうな…と、反省もしている。
でもこのごろは、固い文章を書いているつもりでも、どこか気の抜けた文章になっている。
自分が柔らかい人間とは思っていないが、これも経年変化なのかとも思う。
小説を書いてみたいと思ったこともある。
だが、早々に挫折した。
どうしても、いままで自分が読んできたものの模倣の嵐になりそうだったから。
そして、語彙が足りない。
というか、読書でインプットできてるのに、アウトプットできない。
かんたんな言葉に頼ってしまう。
ゆえに、文学的な文章が書けない。
まぁ、それもまた個性にはなるんだけれど、やっぱり好きな作家さんの模倣になりかねない。
しかも、なにより致命的なことに、これぞといったストーリーが浮かばない。
「起」までは思いついても、「承転」がちぐはぐで、「結」にたどりつかない。
はい、まったく小説家には向きません(笑)
それでも、こうやって文章を書くのは楽しい。
なのに、なんで前回の投稿から、こんなに間が相いてしまったのだろう…。
それはきっと、ついつい文章に入り込んでしまうから。
ちょっとしたもののつもりでも、半日近くかけてしまう。
そして、そんなにかけてるのに、誤字脱字を発見したりすると、自分でがっかりする。
となると、ここから意識的に遠のいてしまうんだな、きっと…。
あと、意外にネタがない(笑)
あるんだけれど、思いついても寝たら忘れてしまう(笑)
もの忘れの激しいお年頃…困ったもんだ。
そして、違うことをしてしまう。
私は手芸が趣味なので、そっちにかかってしまうと、ついついパソコンは閉じたままになる、
でも、今日書いていて思った。
書いていると、いろいろなことを考える。
この文章で現わしていないことも、たくさん考える。
時間はかかるけれど、こういう時間の使い方、悪くないな…と、しみじみ感じたりもしているので、次はなるべく間をあけず、パソコンに向かおうと思う。
伯父のこと。
先日、母の兄である伯父が亡くなった。
寝ている間に息を引き取ったらしい。
介護をしていたいとこが、朝様子を見に行って息をしていないことに気づき、びっくりしたとのことだった。
享年94の大往生で、お顔はとても安らかだったが、亡くなるまえの数か月は壮絶な病との戦いの日々だったらしい。
私も、入退院を繰り返している状況を耳にはしていたが、このご時世もあり、お見舞いすることは叶わなかった。
母は、男4人女4人の8人兄弟の末っ子だった。
今回亡くなった伯父は3番目で、次男。
80の母とは、一回り以上歳が離れていた。
母の実家は由緒ある家系ではあったが、かなり貧しかった。
母が産まれた当時は戦中、しかも子だくさん家族。
末っ子の母が産まれた時点で祖父はかなりの歳だったらしく、20ほど離れた一番上の長女は親戚に預けられ、長男は早くから大黒柱として家族を支えていた。
伯父伯母はみんな頭もよく優秀だったらしいが、進学をあきらめた兄弟も多かったとのこと。
母は、兄弟たちのアドバイスと支援を受け、中高一貫の私立校に進学させてもらえたが、他の兄弟は地元の公立高校に進学するのがやっとのことだったそうだ。
伯父も、中学を卒業してすぐに集団就職で、実家をはなれたようだった。
伯父は定年までその仕事に従事した。
たいへんな苦労もあったことだろう。
淡々と仕事一筋で生きたであろう彼は、その後功績を認められ、晩年叙勲を受けた。
遺影は、そのときの記念に撮影したもので、控えめだが誇らし気な笑顔が、とても印象的だった。
そんな輝かしい経歴をもつ伯父だったが、葬儀に集まったのは、親戚以外はほんの数名だった。
はるか昔に現役を退いていることもあり、しかたないことかもしれないが、とてもさみしく感じた。
さみしくはあったが、会場内はとても穏やかだった。
親戚一同とても和やかで、時折笑顔を交えつつ見送ることができたのは、人数が少ないからこそだったのかもしれない。
物静かで、怒った姿など見たことがなかった伯父にふさわしい、優しさに満ちた送り方だったように思う。
伯父がいなくなり、母の兄弟は、母と88の伯母だけとなった。
伯父伯母の連れ合いは数名ご存命だが、そのほとんどの方は痴呆が進んでおり、今回の葬儀も出席できなかったほどなので、面会がかなっても私の顔はわからないままだろう。
切ないことではあるが、これもまた時代の流れ。
人生の先輩でもある彼らの生きた証を次代に引き継ぐのが、私たち世代の役割なのかなぁ…とか、いろいろなことを考えた、伯父のお見送りでもあった。
ジムに通う理由。
ジムに通い始めて、2年半になる。
はじめは、シェイプアップが目的だった。
人生最高体重を更新中だったから。
最初の1ヶ月は、めっちゃ頑張ってた。
ところがすぐに、世の中の状況が一変してしまい、通うのが怖くなった。
その後、休業をはさみ、再開しても行っていいのか、行かないほうがいいのか…。
迷っているうちに、体重は記録を再更新、血圧も右肩上がり。
一念発起し、開き直って、すいてる時間を狙って通っていた。
ただその後、怪我を繰り返したりと紆余曲折あり、現在は週2回、プールでアクアビクスの講習を受けるにとどまっている。
今日も…というか、今日こそは、仕事帰り、久しぶりにランニングマシンでも使おうかと思って準備してきたのだが、なんだかんだで仕事場から離れることができず、もういっか~という気分になっている。
こうなると、トレーニングはやめて、お風呂に入ってこようかな~となる。
私の通うジムには、なかなかに立派なお風呂が併設されているので、お風呂に入りに来るだけという人も少なくないから、それも選択肢のひとつにはなる。
けれど、結局めんどくさくなり、それもやめて帰宅することになるのが、毎度のパターン。
帰ってキッチンに立つと汗かくしな~とか言い訳しながら。
そんな体たらくではあるけども、健康診断は結果が表れる。
薬が増えても増えても下がらなかった血圧は、正常値とまではいかなくても、まぁ大丈夫でしょうという範囲におさまるようになった。
でもまぁ、薬を飲み続けての結果でもありますが。
それでも、ちょっとさぼると、なかなかにヤバい数値をたたき出す。
他の数値も然り。
不思議なもんですな。
そして、通って1年以上経ってから、私にもジム友が数人できた。
ジム友っていうより、プール友か。
最近の目的は、その人たちとのちょっとしたおしゃべりがメインにもなっている。
プールのあと、ミストサウナで暖を取り、その後お風呂でさっぱりして帰るのが、ジムのルーティン。
そのときにするちょっとした雑談は、とても有意義な情報ということも多々ある。
しかも、裸の付き合いということもあり、友人には言いにくいことやグチなんかもさらけだすことで、お互いのストレス発散にもなっている。
もちろん、小声でしゃべってますけども(笑)
出逢いって、ほんとにふしぎなもんよねぇ…なー-んて、しみじみ語ったりもしてしまうのである。
そんなこんなで、運動する習慣は、ほそー--くながー--く続いている。
これをもう少し、太くしたいところでもあるが…いまはこれを切らないようにつなげていくことが、目下の目標だ。
あ、ちなみに体重は、一時期最高体重マイナス8㎏になりました。
ただ、いまは、もうちょっと持ち直してます(笑)
というわけで、そろそろ重い腰をあげようか…。
でもやっぱり、今日は疲れちゃったから、やめとこう(笑)
現実逃避。
今日は、やらなければならない仕事がある。
タイムリミットは4日後だが、明日は友人とランチの約束があるし、あさってはジムに行きたい。
しあさっては、不測の事態に備え、予備日にとっておきたい。
となると、今日中にこなしてしまいたい。
本来なら、昨日の夜から取り掛かりたかったが、仕事のあと病院に行き、薬局とスーパーに寄って、帰ってからごはんつくったりなんだりしてたら、疲れ切って、早くに爆睡してっしまった。
なら、今日の朝から取り掛かるべきだったが、午前中にマッサージの予約を入れていて、いろいろと疲労もたまっていてキャンセルしたくなかったから、迷った末でかけてきた。
そして、昨日の病院の処方箋に不備があり、薬局によったりして、結局先ほど帰ってきた。
でも、こういうときって、なんでほかの用事ができたり、ほかのことばかり気になったりするんだろう?
今日じゃなくてもいいのに、ソファのカバーを変えてみたり、普段しない掃除をしてみたり…。
学生のときも、そうだった。
試験勉強の前に、よく大掃除や模様替えをしていた。
夏休みの宿題も、ギリギリまで引っ張るタイプだった。
40年以上前から、変わっていないということか…。
そんなことを考えながらお昼を食べ終え、さーて取り掛かろうかというときに、こんどは干しっぱなしの洗濯物が気になって…。
そして現在、これを書いている。
まったくもう…。
我ながら困ったもんだ。
とりあえず、飲み物もおやつも準備したし、書類もそろえ、それをひろげるスペースも確保した。
きのう買った、パソコン用のテーブルも快適である。
さぞかし、仕事がはかどることだろう。
準備万端。
ということで、そろそろ現実に戻ろうと思う。
そして、戻ったらひとまず、効率アップのために、お昼寝することにする。
愛すべき曲者たち。
私には、夫がひとりいる。
ま、結婚してて、離婚も再婚もしていないので、あたりまえか。
このまえ、実弟に連絡したら、
「いやぁ、オレんち銀婚式迎えたよ~。」
なーんてドヤられたけど、ん?うちは?思い返したら、結婚して30年以上経っていた。
お互い老けるはずよねぇ。
私たち夫婦はそれなりの恋愛結婚だったけど、大昔のお花畑の時代は、もう思い出すのも気恥ずかしい(笑)
当時は彼氏彼女だったけど、いまは親より長く一緒にいる家族だ。
最近は、あまり会話もない。
だからといって、仲が悪いわけでもない。
一緒に旅行に行ったりしても道中もずー--っと無言だったりするけれど、それでも居心地は悪くない。
そういう関係。
子供は三人。
長男と次男はアラサー。
長女は、一応大学生。
そして、猫が一匹いる。
我が家の人々は、全員かなり独特。
どのくらい独特かというと、上げはじめたらキリがないだろうし、個人情報漏洩となりそうなので、端折るけど(笑)
分野は違うが、それぞれが一目置かれる…というか、あ、あのひとねー--といわれるくらいには目立つ。
いいことだけではないから、威張れたことでもないんだか(笑)
夫と長男と次男の共通点といえば…屁理屈ということだと思う(笑)
とくに、夫と長男。
討論になると、弁が立つ。
たいていのひとは、論破される。
わたしは絶対言い負けるので、つねに聞き手に回る。
次男はそこまででもないが、好きなことになると話が止まらなくなる。
すきなことへの探求心は、皆に一目置かれるほどだ。
ただ、掘り下げた話に相手がピントをはずれた見解を示すと、そこを正そうと躍起になる。
そうなると…かなりめんどくさい人間になる。
こんな三人なので、意見がぶつかり合うとたいへんだ。
わたしたちは家族で商売をしているので、そうなると収集つかない。
私から言わせると、それぞれが正論を唱えている。
なので、お互いが納得できる結論に至らない場合もある。
そうなると、私がグチの聞き役になる。
私的には、それぞれの話が間違ってないとも思うので、相槌をうちながらだまって聞いている。
ムカッとすることもあるが、そこはじっとガマン。
三人とも、ほとんどの場合、私の意見は求めていないので(笑)
ただ、それは家族ならではの遠慮のなさも一因としてあると思っているし、それぞれ認めているけれどただグチを言ってうっぷんを晴らしていることもあるから、うんうんと聞くことで、実は解決しているときもある。
以前、仕事仲間に、「○○家(我が家)はみんなひねくれてるな~。」
と言われたことがある。
「ホントだよ…。こんなひとたちと一緒にいる私って、すごくない?」
と返答した(笑)
ほんとに、私はもっと褒められてもいいと思う(笑)
でも、仕事仲間たちも、大なり小なり、この三人を認めてくれている。
そのことは、とても誇らしく思う。
長女は、これもまた、自我が強い。
強すぎて、トラブルを招いたこともある。
でも、それでももがき苦しんで歯を食いしばって、娘はがんばってオトナになった。
娘は先天性の病気をもって産まれた。
手術でその障がいを乗り越えたが、今にして思うと乳幼児時代はギリギリのところで生きていたと思う。
入院していたとき、
「こんなに目力が強い子はあまりいない。だから、この子は大丈夫。」
といってくてた看護師さんがいた。
その言葉は、私が彼女を支える信念にもなった。
娘はいま、離れた地で自分なりに居場所を見つけ、頑張っている。
病気を乗り越え、幼いながらも歯を食いしばってアイデンティティを貫きオトナになった娘。
いまでも生きにくい部分もあるだろう。
夫や息子たちに言わせれば、中途半端なのに自覚していない‼ともどかしくも感じるらしい。
それでも、ひとつひとつ自分を納得させて乗り越えようとしている姿を、私は心から応援している。
猫は…ただのおデブ猫だ(笑)
我が家にきて、10年以上経つ。
だいぶ歳をとり、じっとしいていることも多くなった。
それでも、思い出したようにフミフミしたり、なにかを主張してくる姿は、とてもいとおしい。
そんな曲者ぞろいの我が家だが、わたしにとっては大切な家族たち。
ムカつくこともたくさんあるし、放り出したくなることもある。
でも、このひとたちにツライ思いはできるだけさせたくないし、幸せを望んでいる。
それが家族ってもんなんだろうなぁ…と、最近はしみじみ感じる。
そして、この曲者たちに囲まれている私も、周りからみたらかなりの曲者なんだろうなと思ったりもしている。
新しいこと…?
先月、54歳になった。
アラフィフとも言い難い。
でも、アラ還までも、もうすこし間がある。
なんとも、中途半端。
でも、53歳だってキリがいいとはいえなかった。
しかも、キリのいい50歳で、私はなにかしたのかな?と考えると、特筆するようなことはなかった気がする…。
こうして、いつのまにやら歳を取るのね…と、しみじみ考えるおとしごろ。
あと6年で、60歳。
これから、どんなおばあちゃんになるのかしら。
なーんてことを考えてたら、唐突に「新しいことがしたい‼」と思ったのです。
そのアイディアは我ながら名案!と思ったのだけれど、そこでまたまた悩むことになった。
はて、「新しいこと」とは?
わたしはいったい、何をしたいわけ?
そこで、はるか昔のことを思い出した。
25年ほど前、まだSNSもほとんど普及してなかったころ。
唐突に「文章が書きたい‼」と思ったことを。
その後、ブログを開設してその思いは果たしたけれど、当時は手あたり次第といった感じにあらゆることを書き連ねていて、途中から迷走し、なかなかイタイ感じになっていた。
いまでも検索すると出てくるだろうが、そんな気はさらさら起こらない。
恥ずかしすぎてしねるレベル。
そして、ブログの更新をやめたころにmixiやGREEをはじめたんだけど、そこで予想外のことが起こってしまった。
そこでつながったお友達が、リア友になってしまったのだ。
顔が知れてないからこその交流が、顔見知りになり、ランチなどを楽しむ間柄に。
そうなるとね…もうよけいなことを日記に書けないわけですよ(笑)
行動がバレバレだし、ちょっと突っ込んだことを書くとドン引きされるし(笑)
さらにTwitterやInstagramにも手を出したもんで、あたりさわりのないことを短く載せるだけになってしまったわけです。
それはそれで、いいの。
楽しいの。
でも、私はもっと長文を、好き勝手に書きたいの(笑)
SNSも多様化され、用途によって棲み分けが進む昨今。
イタカッタあの頃よりさらに大人になったいまだからこそ、初心に戻ってブログを書くのもいいんじゃないか。
書くことで、いまよりも少しだけ、自分と向き合うことができるのではなかろうか。
そんな結論に至ったわけです。
基本的に自己満足の考えごと。
それなら、非公開でもいいかもしれない。
でも、何か楽しい展開になるかもしれないので、とりあえず公開にしておきます。
54歳の主婦の、ある日のひとりごと。
よければ、お付き合いくださいませ。