one day with me

とある主婦が考えてること。

伯父のこと。

先日、母の兄である伯父が亡くなった。

寝ている間に息を引き取ったらしい。

介護をしていたいとこが、朝様子を見に行って息をしていないことに気づき、びっくりしたとのことだった。

享年94の大往生で、お顔はとても安らかだったが、亡くなるまえの数か月は壮絶な病との戦いの日々だったらしい。

私も、入退院を繰り返している状況を耳にはしていたが、このご時世もあり、お見舞いすることは叶わなかった。

 

母は、男4人女4人の8人兄弟の末っ子だった。

今回亡くなった伯父は3番目で、次男。

80の母とは、一回り以上歳が離れていた。

 

母の実家は由緒ある家系ではあったが、かなり貧しかった。

 

母が産まれた当時は戦中、しかも子だくさん家族。

末っ子の母が産まれた時点で祖父はかなりの歳だったらしく、20ほど離れた一番上の長女は親戚に預けられ、長男は早くから大黒柱として家族を支えていた。

伯父伯母はみんな頭もよく優秀だったらしいが、進学をあきらめた兄弟も多かったとのこと。

母は、兄弟たちのアドバイスと支援を受け、中高一貫の私立校に進学させてもらえたが、他の兄弟は地元の公立高校に進学するのがやっとのことだったそうだ。

伯父も、中学を卒業してすぐに集団就職で、実家をはなれたようだった。

 

伯父は定年までその仕事に従事した。

たいへんな苦労もあったことだろう。

淡々と仕事一筋で生きたであろう彼は、その後功績を認められ、晩年叙勲を受けた。

遺影は、そのときの記念に撮影したもので、控えめだが誇らし気な笑顔が、とても印象的だった。

 

そんな輝かしい経歴をもつ伯父だったが、葬儀に集まったのは、親戚以外はほんの数名だった。

はるか昔に現役を退いていることもあり、しかたないことかもしれないが、とてもさみしく感じた。

 

さみしくはあったが、会場内はとても穏やかだった。

親戚一同とても和やかで、時折笑顔を交えつつ見送ることができたのは、人数が少ないからこそだったのかもしれない。

物静かで、怒った姿など見たことがなかった伯父にふさわしい、優しさに満ちた送り方だったように思う。

 

伯父がいなくなり、母の兄弟は、母と88の伯母だけとなった。

伯父伯母の連れ合いは数名ご存命だが、そのほとんどの方は痴呆が進んでおり、今回の葬儀も出席できなかったほどなので、面会がかなっても私の顔はわからないままだろう。

 

切ないことではあるが、これもまた時代の流れ。

 

人生の先輩でもある彼らの生きた証を次代に引き継ぐのが、私たち世代の役割なのかなぁ…とか、いろいろなことを考えた、伯父のお見送りでもあった。